英彦山大権現(田川郡)

英彦山大権現

 


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2020.11.9

 

所在地: 〒824-0721 福岡県田川郡添田町英彦山字樫ケ谷

 

 

 

福岡県添田町と大分県中津市にまたがる標高1199メートルの英彦山は、昭和25年7月29日に(豊前市・朝倉市・うきは市・添田町・東峰村・みやこ町・築上町・上毛町)8,269ヘクタールの総面積面積の一つ。

 

「耶馬日田英彦山国定公園」に指定されていて、日本二百名山・日本百景・日本三大彦山に数えられています。

 

 

 

 

 

 

霊峰で知られる英彦山(標高1199メートル)を中心とした犬ヶ岳(標高1131メートル)・求菩 提山(標高782メートル)を含む地域。文化的に重要な地域ですが、県内では貴重なブナ林が広がるなど、生物多様性にとっても重要な地域です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

英彦山には複数の神社があり、その一つに英彦山大権現があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明治元年(1868年)に神仏分離令が発布されて英彦山大権現は(阿弥陀如来=天忍穂耳命)が廃止してしまい、百余年消え去られようとしていましたが、昭和54年に現在の形で再興されています。

 

 

 

 

 

 

庭園

 

英彦山大権現には庭園があり、紅葉を見ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彦山は何故「英彦山」?

 

1729年霊元法皇から霊験灼か(れいげんあらたか)な山として、彦山の上に「英」虹を附し「英彦山」とすべしと勅額を賜りました。

 


 

霊元天皇(れいげんてんのう)

 

1654年7月9日〈承応3年5月25日〉- 1732年9月24日〈享保17年8月6日〉)は、日本の112代天皇(在位: 1663年3月5日〈寛文3年1月26日〉- 1687年5月2日〈貞享4年3月21日〉)。諱は識仁(さとひと)。称号は高貴宮(あてのみや)。

 

譲位後の期間が長いため、仙洞様(せんとうさま)とよばれることが多い。歌人、能書家でもある。絵を能くし作品が複数現存している。

 

 


 

 

 

霊験灼か(れいげんあらたか)

 

神仏による効験が明らかに表れるさま。神仏が著しく感応するさま。「霊験灼然」(れいげんいやちこ)などとも言う。

 


 

不動明王

 

近くで不動明王を見ることができます。

 

英彦山大権現 湯の谷別院

 

駐車場が道路沿いにあります。

 

 

 

下のほうへ歩いていくと入り口があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不動明王(ふどうみょうおう)とは?

 

語源は「動かない守護者」を意味し、インド神話のシヴァ神の別名です。
シヴァは暴風雨の威力を神格化したもので、破壊的な災害を起こす半面、雨によって植物を育てます。
その破壊と恵みの相反する面は不動明王にも受け継がれているのです。
不動明王は仏法の障害となるものに対しては怒りを持って屈服させますが、仏道に入った修行者には常に守護をして見守ります。

 

 

大日如来の化身として、どんな悪人でも仏道に導くという心の決意をあらわした姿だとされています。
特に日本で信仰が広がり、お不動様の名前で親しまれています。そして、五大明王の中心的存在です。

 

 

五大明王とは、不動明王を中心に降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)の5体のことを指し、不動を中心に東西南北に配されます。

 

 

不動明王の脇侍として八大童子のうちの矜迦羅(こんがら)・制多迦(せいたか)の2童子が配されることも多いです。
ちなみに不動明王の持っている龍が巻きついている炎の剣が単独で祀られている場合があります。

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