火野葦平文学散歩(若松区)

火野葦平(ひのあしへい)資料館(若松市民会館内)

 

昭和60年7月1日開館

 

  • 所在地〒808-0034 北九州市若松区本町3丁目13番1号(若松市民会館内)
  • 電話 093-751-8880
  • 開館時間10時〜16時
  • 休館日月曜日(月曜日が休日の場合は開館し、翌日が休館)
  • 年末年始(12月29日〜1月3日)
  • 入場料無料

 

 

 

 

復元された書斎をはじめ生涯をたどる写真パネル、日記やノートなど葦平ゆかりの資料が展示されています。
激動の昭和史を象徴的に生きた、葦平の当時の様子をうかがい知ることができます。

 

 

 

  • 明治39年12月、父・玉井金五郎、母・マン(旧姓谷口)の長男として福岡県遠賀郡若松町(現北九州市若松区)に生まれました。
  • 小倉中学校入学後、漱石等の作品に接し、文学を志しました。
  • 早稲田第一高等学院を経て、早稲田大学英文学部を中退後、一時家業を継いでいましたが、昭和12年、日中戦争のため応召。
  • 昭和13年、出征中に『糞尿譚』が第6回芥川賞を受賞し、軍報道部時代に書いた兵隊三部作により、一躍、国民作家として脚光を浴びました。
  • 戦後、昭和23年から25年まで公職追放をうけましたが、追放解除後も筆は衰えませんでした。創作活動の拠点である若松の『河伯洞』と東京の『鈍魚庵』とを飛行機で往復するなど、精力的に活動し、『花と龍』など北九州を舞台とした数多くの作品を書き続け、再び流行作家として活動しました。
  • 昭和35年1月24日河伯洞2階の書斎で自ら命を絶ちました。享年53歳でした。
  • 昭和35年5月、戦中戦後の自らの心の軌跡を描いた『革命前後』及び生前の業績により日本芸術院賞を受賞しました。

 

 

入り口

 

 

故郷と河童を愛した男

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

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