曲里の松並木(長崎街道)

長崎街道とは

 

江戸時代、徳川幕府は江戸中心の街道を幹線道路とし、全国に宿駅を整備しました。
街道には五街道と脇街道があり、豊前小倉と長崎を結ぶ長崎街道は、九州で唯一の脇街道です。

 

 

57里(約228キロメートル)のこの街道には25ヶ所の宿場があり、このうち福岡藩内の黒崎・木屋瀬(現在の八幡西区内)、飯塚・内野(飯塚市内)、山家・原田(筑紫野市内)の各宿は、筑前六宿と呼ばれ、大変なにぎわいをみせました。

 

 

長崎街道は鎖国体制を敷いていた日本の中で、唯一外国との文化交流や通商の窓口にしていた長崎から西洋の文化や新しい技術などを伝える文明の道として、重要な役割を果たしていました。
長崎奉行やオランダ商館長が江戸往来に利用し、また九州西半の大名が参勤交代のために通った他、多くの学者や文人、象やクジャクなどの動物も通っています。

 

 

 

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曲里の松並木(まがりのまつなみき)

 

  • 指定年月日昭和46年4月21日
  • 所在地八幡西区岸の浦二丁目6番ほか
  • 規模 幅 約0.02〜0.03km、延長 約0.31km、面積 1.4ha、樹齢 30〜300年

 

 

 

この松並木は、江戸時代に徳川幕府が全国の街道に松や杉を植樹させた名残です。

 

江戸後期の狂歌師大田南畝(蜀山人は別号の一つ。寛延2年〜文政6年=1749〜1823)は「坂を下るに赤土の岸あります。
松の並木の中をゆくゆく坂を上り下りて、又坂を下りゆけば、左に黒崎の内海見ゆ。」とその紀行文(小春紀行)にこの松並木あたりの描写をしています。
昭和20年頃までは黒崎から木屋瀬にかけて、街道には多くの松を残していましたが、今はわずかにこのあたりが昔日の長崎街道の面影をとどめています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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冬のイベント

 

 

冬のイベントとして「曲里の松並木電照松」(12月〜1月)が行なわれます。

 

松並木に和風の電飾を灯し、都会のイルミネーションとは一味違った灯りで演出します。

 

和をテーマにした松並木でのイルミネーションは、全国的にも珍しい取り組みであり、訪れた人々を幽玄の世界へと誘います。

 

 

 

 

 

 

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