ロバート・ジョンソン初スタジオ録音
- 1936年11月ロバートは24歳くらいの時、ジャクソンでミュージック・ストアを経営しているH・Cスピアの紹介でARCタレント・スカウトと外交員をしていたアーニー・アートルがロバートの演奏を聴きサン・アントニオで録音をすることになります。
- ロバートは有頂天になりジョージア通りにある姉のキャリーに「レコードを吹き込みにテキサスへ行くんだぜ」と告げに行きます。
- またほかのブルースマンたちにこれから行うセッションの話をしたりしました。
ラインスタンプ→Blues Cat
- オクラホマ州タフトで「テラプレン・ブルース」を聞いてロバートだとわかった人物にマック・マコーミックが会いました。
- 当時ロバートのテーマソングになっていたのでレコードになっていなっかたのに35年も前の曲を覚えていました。驚きです。
ラインスタンプ ⇒ ブルースネコ
その人によれば当時ロバートは無名の人物でひそやかで、控えめ、うぶ、風変わりで象徴的なオデッセイであった。ということです。
- アーニー・アートルとロバートがサン・アントニオについたのは11月の下旬アートルはロバートをガンダー・ホテルに連れて行きます。
- ARCの録音部長であるアート・サザリーがセッションを行っていた場所。
- そのときセッションの担当をしていたA&Rマンのドン・ローはジョンソンのレコーデイングを集めた最初のアルバムを手がけています。
- ドン・ローによるとロバートはとても内気で「スタジオにいるメキシコミュージシャンにギターを弾いて見せろ」と言うとロバートはひどくあがってしまって壁の方を向いてみんなに背を向けたロバートは気持ちを落ち着かせて演奏をしたが決してみんなに顔を向けることはなかったということです。
- ジョニーシャインズとロバート・ロックウッド・ジュニアはロバートは自分の能力にはきわめて油断がなくほかのミュージシャンが自分を見つめているとわかるとそっぽを向いたと説明しています。
- この2人の取材内容は反するものがあり、どちらも自分の考えで語っているだけなので当時そう感じただけなのでしょうが、ジョニーシャインズはドン・ローと違い、長い間ロバートと演奏して回っていてロバートを他の人よりも知っているであろうと考えるとジョニーシャインズのいうことが正しいように私は思えます。
- テクニックを他のミュージシャンに盗まれないように背を向けて演奏することによってどうやって演奏しているのか分からない状況を作っていった。
- これが悪魔に魂を売って手に入れたと言われる悪魔説につながるというわけです。
- 話を録音現場に戻します。ロバートは11月23日月曜日から11月27日金曜に3日間のセッションで16曲を録音しています。
- しかし火曜日と水曜日は録音をしていません。それは放浪の疑いで留置所に入れられていたのでドン・ローが保釈手続きをしました。その後数時間後ロバートから電話がかかり「さびしいんです」と訴えてきました。
ラインスタンプ ⇒ ブルースネコ
- ドン・ローは「寂しいって?どういう意味だい?」と聞くと。「寂しいんです、ここに女がいるんだけど50セントくれという。だけど5セント足りなくて・・・」と言ったそうです。
- これは演奏を録音してお金が手に入る予定が録音途中留置所に入れられ録音もお金も手に入らなくなるかもしれないと思ったロバートは女の話をして録音やお金のことを間接的に聞きたかったのではないかと私は思いました。
- ロバートの性格を分析すると本当は「それくらいのお金、演奏を録音すればすぐに手に入るさ」とドン・ローに言って欲しかったのではないかと思うのです。
- その後コロンビアのアルバムが2枚でるまで3曲が未発表となっていました。
- 兄弟に教わったと思われるしゃがれた声のラグタイム曲。カインハーテッド・ウーマンはリロイカーを意識しています。
- アイ・ビリーブ・アイル・ダスト・マイ・ブルームとスートホーム・シカゴはココモ・アーノルドのオールド・オリジナル・ココモ・ブルースを意識して作っているようです。
- 1930代はギターのブギというのは珍しく聞いているだけのものだったのですが、それをロバートが演奏することによって1本のギターでリードと一緒にベースを弾く奏法をみんながするようになったと言うことです。
- 中でも「テラプレイン・ブルース」は4千枚から5千枚売れるヒット曲になりロバートの代表曲になります。
- ロバートの演奏のジャンル幅の広さ、情熱的なスタイルでうなり声だったり締め付けられるような声であったり、強弱がはっきりしたボーカルテクニック。そのボーカルそっくりに反映しているギターサウンドもの悲しく鳴り響くスライド奏法。
- それが聞き手である観客をさらに釘付けにしました。サンハウスの影響を受けた「ウォーキング・ブルース」も見事にロバート風にアレンジした曲に仕上がっています。
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話を戻します。
- 1936年11月、テキサス州サンアントニオで初めてのレコーディング・セッションに臨み、3日間で16曲をレコーディングしました。その7ヶ月後の1937年6月には2度目のレコーディングのためにダラスの中心街に赴き、13曲を残している。生涯に残したレコーディングは、この2回の合計29曲(レコ−ディングは59残したが,現存するのは42テイク)
- 1937年6月に2回目の録音をしたダラスの中心街にあるビジネス倉庫。平日は騒音がはげしいこともあり、土曜日と日曜日に行われました。
- 土曜日に3曲。日曜日に10曲、そのうちの11曲が1年以内に発売されることとなります。
- 通りの騒音がレコードに入らないようにするため窓を閉め切っていたためシャツを脱いで、氷の塊の間から扇風機を吹かせて暑さをしのいだということです。
- 安全テイクの4曲分はほとんどの曲が録音されていますが別テイクはオリジナルとほぼ同じで、1曲やり終え時間をはかり、また別の曲を全く同じようにやります。3、4曲しくじりながらも・・